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「千住宿」開宿400年コラム その1~宿場町として発展した“千住”~
登場人物
せいこちゃん。小学5年生の女の子。最近北千住に引っ越してきた。
いちはらさん。昔から北千住に住んでおり、せいこちゃん家のお隣さん。
いちはらさん、こんにちは! だんだん北千住にも慣れてきました。
それは良かった。北千住は古い街並みだけではなく新しい街並みもあって素敵な街だよね。
散歩してるといろんな建物があって楽しいです!
北千住を歩いていると「宿場町」って言葉をよく見かけるけど、どういう意味なんですか?
400年前、江戸幕府の第三代将軍である徳川家光が、徳川家康をまつる日光東照宮を立派な建物につくりかえようと考えて、江戸から日光まで沢山の人が通れる道路「日光街道」をつくったんだ。この日光街道は、日光東照宮をつくりかえるために、大工さんなどたくさんの人たちが何日もの時間をかけて通る長い街道であったから、その道中で休憩したり泊まったりするための場所が必要になって「宿場」という、今でいうと「街」が各所につくられたんだよ。
日光!?すごい遠いね…。じゃあ、北千住にも宿場がつくられて「宿場町」になったってことですか?
そうだね。宿場を初めてつくることを「開宿」と言うんだけど、ちょうど400年前に江戸(日本橋)から数えて最初の宿場に指定されて開宿したのが「千住宿」なんだ。そのころの移動手段は徒歩が多かったから、日本橋から半日くらいで歩ける距離(2里8丁)がだいたい千住辺りまでだったからって言われてるよ。
ちなみにその頃、千住宿と呼ばれていたのは今の千住一丁目から五丁目まで。家は街道に面してるところに建っているだけで、まだまだ少なかったようだよ。
へぇ~。「開宿」したころはまだ家はたくさんなかったんですね。宿場町になって千住はどうなったんですか?
その後、千住は将軍である徳川家の支配する土地の一部となり、将軍が鷹狩りをする時の安全な休憩場所となったんだ。獲物となる動物を管理する屋敷を置いて専門の人に準備をさせたり、赤門寺(勝専寺)に仮の御殿をつくったりして発展してったんだ。もちろん家光も千住へ遊びに来たよ。
えっ、将軍の鷹狩りだけでこんなに発展したんですか?
もちろん理由はそれだけじゃないよ。やがて鷹狩りだけでなく、家光が制定した「参勤交代」などで日光街道を通る人が増えたことで、千住宿は繁栄して大きくなり、今の千住の基礎ができたんだ。
さらに、関東各地の産物を江戸に集める流れの中で、千住は売買が盛んにおこなわれる重要な場所となり、特に野菜や川魚を集め、江戸市中に届ける役目は大きかったようだよ。
その結果、多くの人が千住に住み始めたんだ。あの有名な葛飾北斎も千住に来て、千住の景色を富嶽三十六景に残しているよ。江戸時代後期には文化人と呼ばれる人たちとの交流も広がったんだ。
すごい!葛飾北斎なら私も知ってる!いろんな人が集まる街になったんですね。
そういえば「千住」という地名は、どこから来たんですか?
いろいろな由来があるんだけど、そのひとつに赤門寺として知られている勝専寺に千手観音像があって、それが「せんじゅ」と呼ばれる元になったという説があるよ。
他には、室町時代の将軍にかわいがられた「千寿の前」という姫が千住の生まれだという説や、戦国時代の武将「千葉氏」が住んでいたから千住といわれたという説もあるんだ。さらに他にも諸説があってはっきりしたことはわからないけど、こういう話はいくつあっても、おもしろいよね。
気づいたらみんなが「千住」って呼んでたんですね(笑)
千手観音像がある勝専寺は、どうして赤門寺って呼ばれてるんですか?
当時、門を赤くすることが許されたのは、徳川家から特別扱いされたところだけなんだ。
たとえば、有名な東京大学の赤門は、徳川家から加賀前田家へお嫁入りした人がいたからなんだよ。千住の勝専寺も徳川家の将軍が鷹狩りの時に使ったので赤門が許され、さらに寺紋(じもん)というお寺のマークに三つ葉葵(みつばあおい)を使うことも許可されたんだ。三つ葉葵は葵の葉を3枚組み合わせた徳川家の家紋で、限られたところでしか使えなかったんだよ。足立区には、勝専寺以外にも三つ葉葵の絞を使っているお寺があるので、ぜひ探してみよう!
へぇ!いつも目の前を通ってる赤門寺がそんな由緒正しきお寺だったなんて驚きです!
ますます千住が好きになっちゃった!
私も千住を好きになってくれる人が増えることは嬉しいよ。みんなにももっと地元に興味を持ってもらいたいな。
【監修・協力:NPO法人 千住文化普及会 理事長 櫟原 文夫(イチハラ フミオ)様】
「千住宿」開宿400年祭について
今回はコラムでは、いちはらさんに千住が開宿した頃の話をしていただきました。開宿したのは1625年のことであり、2025年に開宿400年という大きな節目を迎えます。千住に本店を構える当金庫では、東京商工会議所足立支部とともに地元企業や団体、各商店街など協力し、年間を通じて開宿400年を盛り上げる“「千住宿」開宿400年祭”を開催いたします。
当金庫ではこれまでも、“宿場町”という観光資源を活性化すべく「御宿場印プロジェクト」や「御宿場印マルシェ」などを行ってまいりましたが、“「千住宿」開宿400年祭”を通じてさらに地元を盛り上げてまいります! 地元の方は共に楽しんでいただき、それ以外の地域の方もぜひ北千住へ足をお運びください!