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「千住宿」開宿400年コラム その2~千住大橋は千住の町の生みの親~
登場人物
せいこちゃん。小学5年生の女の子。最近北千住に引っ越してきた。
いちはらさん。昔から北千住に住んでおり、せいこちゃん家のお隣さん。
前回のコラムはこちらから
「千住宿」開宿400年コラム その1~宿場町として発展した“千住”~
いちはらさん、こないだは千住の歴史を教えてくれて、ありがとうございます!
千住を好きになってくれるなら、いつでも教えるよ。
そしたら早速聞きたいことがあって…。
嬉しいねぇ、何だい?
千住が宿場町として発展したきっかけって他にもあるんですか?
いろいろあるけど、やはり千住大橋が隅田川に架けられたことが大きいかな。千住大橋のおかげで日光街道や奥州街道が通って旅人のための旅館が繁盛したし、千住大橋のたもとには船着き場ができて、隅田川を利用して沢山の野菜やコメなどが届くようになって市場ができ、問屋や商店も増えていったんだよ。
そうなんですね。橋ができると人の流れができるってことかぁ。
そのとおり。千住大橋は、江戸時代に入る直前の1594年に“隅田川で一番最初に架けられた橋”として有名だし、400年以上の長い間、人と物の通行を支えるインフラとして千住の町の発展に大きな役割を果たしてきたんだ。だから「千住大橋は千住の町の生みの親」と言われているんだよ。
そんな昔からあんな大きい川をわたる橋が架けられてたんですね…。誰が架けたんだろう?
徳川家康が架けたと云われているんだけど、実はこの橋にはいくつかの伝説が地域に伝わっているんだよ。
え、伝説?どんな伝説なんですか?
千住大橋伊達政宗伝説って言うんだ。橋の下を覗いて見てみると、オレンジ色のブイが3個見えるんだけど、このブイの下に“あるもの”が眠っているんだよ。
えー、怖い!何があるの!?
あはは。そんな怖いものじゃなくて、眠っているのは、千住大橋伊達政宗伝説の「高野槇の杭」というものなんだ。
こうやまきのくい?
そうそう。さっき言ったとおり、徳川家康がこの橋を架けたとは云われてるんだけど、その橋杭の木材は伊達政宗が寄進したという伝説が地域に伝わっているんだ。川柳や歌舞伎の題材にもなっていて、川柳の「伽羅(きゃら)よりもまさる千住の槙(まき)の杭(くい)」という話が有名だよ。
伝説になったり川柳で読まれたり、コウヤマキっていうのはそれだけ良い材質で有名なんですね。
そうなんだよ。それまではただの伝説で、もう腐って無くなっちゃっているものだと思われてたんだけど、平成15年に古老の船頭の話をもとに、東京都河川部が改めて調査したところ、今の千住大橋の下に3本の高野槙の木杭がいまだ眠っていることが分かったんだ。
えー!?それ、本当に昔の杭だったんですか!?
あぁ。分析の結果、200年以上前のもので、材質は高野槙であることが判明したんだ。まさしく伝説通りとなったんだよ。
すごい!そんな昔の杭が未だに残っているなんて、それこそが伝説になりそう(笑)
今の鉄橋になったのはいつなんですか? 古いけどデザインがオシャレですよね。
木の橋から鉄橋になったのは98年前の昭和2年のことで、この鉄橋は橋をささえる橋脚がない「タイドアーチ橋」というんだよ。その後、交通量が増え続けたので上り線用の鉄橋が昭和48年に架かったよ。
車で通るときに、行きと帰りで景色が違うのはそういうことだったんだ! 今まではただ「大きな橋だなぁ」って思ってただけだったけど、成り立ちや伝説を聞いて愛着がわいてきたかも!
長年にわたり地方と都市を結ぶ重要な役割を果たしてきた橋だからね。千住大橋は今もこれからも千住のランドマークであり、地元のみんなの誇りだよ。
【監修・協力:NPO法人 千住文化普及会 理事長 櫟原 文夫(イチハラ フミオ)様】
「千住宿」開宿400年祭について
今回はコラムでは、いちはらさんに千住大橋の話をしていただきました。
「千住宿」が開宿したのは1625年のことであり、2025年に開宿400年という大きな節目を迎えます。千住に本店を構える当金庫では、東京商工会議所足立支部とともに地元企業や団体、各商店街など協力し、年間を通じて開宿400年を盛り上げる“「千住宿」開宿400年祭”を開催いたします。
当金庫ではこれまでも、“宿場町”という観光資源を活性化すべく「御宿場印プロジェクト」や「御宿場印マルシェ」などを行ってまいりましたが、“「千住宿」開宿400年祭”を通じてさらに地元を盛り上げてまいります! 地元の方は共に楽しんでいただき、それ以外の地域の方もぜひ北千住へ足をお運びください!