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「千住宿」開宿400年コラム その4~千住文化の発展は旦那衆の道楽が始まりだった!?~
登場人物
せいこちゃん。小学5年生の女の子。最近北千住に引っ越してきた。
いちはらさん。昔から北千住に住んでおり、せいこちゃん家のお隣さん。
その1~3のコラムはこちらから
「千住宿」開宿400年コラム その1~宿場町として発展した“千住”~
「千住宿」開宿400年コラム その2~千住大橋は千住の町の生みの親~
「千住宿」開宿400年コラム その3~宿場町の繁栄が今も続いているワケ~
いちはらさん、こんにちは!
また千住のことを聞きたいんですけど、千住の文化ってどうやって発展したんですか?
せいこちゃん、こんにちは。たくさん興味を持ってくれてうれしいよ。
千住宿は江戸四宿(千住宿・板橋宿・内藤新宿・品川宿)の1つで、江戸と地方を結ぶ五街道(日光道中・奥州道中・東海道・中山道・甲州道中の5つ)のうち、日光道中と奥州道中が通る江戸最大の宿場だったことは前に話したよね。
千住大橋ができたことで人の流れができて発展したんですよね!
そうそう。千住大橋の架橋により陸運と隅田川の水運に恵まれて、橋戸河岸が置かれ、やっちゃ場と呼ばれた河原町の青物市場は御用市場となり、千住は江戸に物資を運び込むための中継地点となったことで、他の宿場には見られないほどの商業の発展が続いたんだ。
商業が発展したってことは、街の人々はみんなお金持ちになったってことですか!?
もちろん全員がお金持ちってわけではないけど、宿場の商店主や青果問屋では裕福な旦那衆が出現して、千住の文化も発展していったんだ。
だんなしゅう?
そう。私財を投じて地域文化を支える人のことをそう呼んだんだ。今で言うと地域におけるスポンサー的な存在かな。そういう人たちと江戸の文化人との交流が盛んになったことで、街の人の中にも一流の文芸・芸術家が生まれて、いつしか千住独自の文化として発展したんだ。
千住の裕福な旦那衆と江戸の文化人との交流って、どんなことをしてたんですか?
裕福になった商店の旦那衆は道楽の一つとして習い事をするようになって、自分が好きな道楽の師匠と仰ぐ文化人を千住に招いて手ほどきを受けたんだ。
当時の「道楽」は、文芸・茶道・華道・香道・園芸・骨董品などに精を出すことで、現代の趣味とは違うんだ。
ただ見たりするだけの「推し活」じゃなくて、自分も作る側になるのが趣味でもあるんですね!
現代風に言うとそういうことになるかな(笑)
熱心な道楽をする旦那衆は自身で絵画や俳句の作品をつくるまで成長し、江戸の文化人と大変親しく交流するようになっていくんだよ。また当時の手紙などから江戸の文化人を支援していたことがわかっているよ。
自分で作品を作りながらも他の人を支えるってすごいなぁ。有名な作品もいっぱいあるってこと?
そうだね。江戸時代の裕福な商人の家には、多くの作品が残っているよ。
特に、「江戸琳派」(えどりんぱ)の鈴木基一(すずき きいつ)から学んだ村越基栄(むらこし きえい)と、息子の向栄(こうえい)の作品が多数あって、これらの作品群は「千住琳派」と呼ばれて、近年注目されているんだ。足立郷土博物館に行くと「千住琳派」の作品を見ることができるよ。
へぇ~。今度、郷土博物館に行ってみます!
他にも千住独自の文化ってあったんですか?
有名なところだと、江戸の文化人との交流のなかで、「千住酒合戦」というイベントが開催されたことがあるんだ。
酒合戦!?お酒を飲む対決ってこと!?お酒の飲みすぎは良くないよぉ~…。
あはは、確かに飲みすぎは良くないけど、お酒を飲むことはお祝いってことでもあったんだ。
このときの酒合戦は、江戸後期に、飛脚宿の主人・中屋六衛門の還暦祝いとして、千住河原町にあった青物問屋の坂川屋鯉隠(さかがわや りいん)が中心となって催されたんだけど、鯉隠の声掛けで、酒井抱一(さかい ほういつ)や谷文晁(たに ぶんちょう)、亀田鵬斎(かめだ ぼうさい)など当時の江戸の文化人が多数参加したんた。このときの様子を大田南畝が「後水鳥記」として記録しているよ。
酒飲み大会の話なのに「後水鳥記」って、千鳥足ってことですか? (笑)
これは「酒」の漢字の「氵」(さんずい)の部分を「水」に、「酉」(とり)の部分を「鳥」に変換しているんだ。
あー!なるほどー!オシャレなタイトルだぁ!
裕福な商家が多くなった千住の人々は、書画や俳諧などを嗜み、江戸の文化人たちとも交流することで教養面でも豊かになり、独自の文化を築いたんだ。現代の私たちも千住に伝わる文化を大事にして後世の人にバトンタッチしていかないといけないね。江戸開府以来、千住の街には沢山の歴史文化が蓄積されてきたけれど、今後さらに400年後にはどんな街になっていくんだろうね。
街の雰囲気と同じで、古いものを大切にしつつ新しい文化も取り入れて、これからも千住が発展していくといいな!
【監修・協力:NPO法人 千住文化普及会 理事長 櫟原 文夫(イチハラ フミオ)様】
「千住宿」開宿400年祭について
今回はコラムでは、いちはらさんに「千住文化の発展」について話していただきました。
「千住宿」が開宿したのは1625年のことであり、2025年に開宿400年という大きな節目を迎えます。千住に本店を構える当金庫では、東京商工会議所足立支部とともに地元企業や団体、各商店街など協力し、年間を通じて開宿400年を盛り上げる“「千住宿」開宿400年祭”を開催いたします。
当金庫ではこれまでも、“宿場町”という観光資源を活性化すべく「御宿場印プロジェクト」や「御宿場印マルシェ」などを行ってまいりましたが、“「千住宿」開宿400年祭”を通じてさらに地元を盛り上げてまいります! 地元の方は共に楽しんでいただき、それ以外の地域の方もぜひ北千住へ足をお運びください!